Stay Home 考える時間 吉田松陰「講孟余話」「松下村塾人の育て方」
COVID-19 の拡大防止のため緊急事態宣言下のGWはどこにも行かず自分のための時間を過ごすことができています。ちなみに当科はGWを交代で勤務することにしており前半働いていた私は後半は休みになっています。
私はこのGWに吉田松陰を研究することにしました。これまでも吉田松陰のことは多少知っていましたが、黒船に乗り込もうとして捕まったとか、獄中で囚人達に学問を教えたとか、松下村塾を開いて久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら多く偉人を輩出したとか教科書的なことにとどまっていました。
私の疑問は「なぜ、松下村塾から明治維新の志士、明治の偉人が多数でたのか」ということです。それには、やはり吉田松陰に秘密があるはずで、教育者としての吉田松陰を知りたいと思ったのです。
まずは電子書籍でよさそうは本を探して「講孟余話・留魂録 逆境に負けない生きかた」を読んでみました。
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なかでも第二場 六月十八日
梁恵王 上 首章
が心にしみた。以下抜粋
「道理にかなうものごとを推し進めれば、自然と事業は成功を見るもの。結果的には国益にもかなう。逆に事業を成功さることばかりに躍起になると、道理を失うことがままあるというわけだ。」
「諸葛孔明も触れている。『全力を傾けて、死ぬまで頑張るのだ。成果がどうなるか、それは私の想定外のことだから。気にとめる必要などない』これこそ道理を学ぶ学問の基本中の基本だ」
「今の役人をはじめ勉学に精を出している者たちの志にはどうも賛同できないところがある。なぜかといえば、名声を得るため、あるいは、官途に就くための手立てになっているからだ。手っ取り早く対価を得ようと学問をやっているわけで、道理とは何かを探求し、実践するためにやっているのではない、この点については、深く考えた方がよさそうだ」
次の第四場 六月二十七日
梁恵王 上 七章
もまた心にしみる。以下抜粋
「できないのではなく、やらないだけだ」
「『一定の収入がなくても、つねに道徳心をしっかり持つことができるは、一握りの教養ある人だけである』という孟子の言葉は、もう、これだけで士たる人物とはどうあるべきかを悟るに十分だ」
「武士というもは、たとえ飢えようとも、凍えようとも、普段の心構えがぐらつくようなことがあってはならない。それは当たり前のことであり。教えというほどのものではないのだ」
「他人の力をあてにすることもなく。よそのお金にものを言わせたりせず。ただ自分一人で思いのままにできることだ。それでもやはりそんなことは御免だといいうのなら、これまた、『できないのではなく、やらないのである』」
吉田松陰という人は、自分に厳しく、学問というか道理というか、原理、原則を深く考え実行する人であるということが分かり、その真剣さには感動してしまうほどであった。
次に、大人のための教養講座テンミニッツテレビが1か月無料というので「吉田松陰」を検索して何話か見てみました。
そこには、これでの吉田松陰に関する歴史的な考察がレビュー的に説明され、1冊の本を読むだけではわからない知識を得ることができました。
まだ教育者吉田松陰の謎は解明されません。
次の本で納得のいく答えに出会いました。
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以下抜粋
「いっしょに励みましょう」
「弟子入りの希望者が来ると松陰は必ず、そう答えている。時として、『私は教えることはできませんが、いっしょに学ことができます。ともに励みましょう』」
松下村塾の授業は
「今日でいうケーススタディのやり方だ『君ならどうするか』と問われ、十分な答えができないと、自分の勉強の足りなさが分かってくる。自分に何が不足しているかを知ることは、自己啓発の第一歩である」
「『飛耳長目』をもとに、村塾では事実の解釈をめぐって激しい討論が行われた。塾生たちは討論を通じて、事実をどのように読みとるべきか、情報はどのようにして集めることができるのかを体得し、研ぎすまされた感受性を発揮できるようにしたのである」
「『真に深く道理を知れば、だれでも行動におよぶ』というのが、松陰のちしきについての考え方であり、行動にまでいかない知識は、松陰にとって知識のなに値しなかったのである」
「学問は何のためのものだという説明はしない。『あなたは何のために学のか』と問う。人間の志はかくあるべきだ、とはいわずに、『あなたの志は何か』と尋ねる」
「本を読んで感ずるところがあったら必ず抄録してとっておけ。読書のエネルギーの半分は抄録に使え」
『角を矯めて牛を殺す』という言葉がある。少しの欠点を直そうといて全体をダメにしてしまうことであり、枝葉のことにかかわって本体を棄損してしまうことである。松陰は、人材を育てるには忍耐と寛容さが必要であることをよくわきまえていたのである」
吉田松陰は、学び続けるという姿勢を自ら示し、塾生には小集団で議論、討議でむずかしい問題へに対応方法を体得させた。松陰の死後も塾生たちはその小集団活動を続け、発展させ明治維新という誰も知らない難問を解くに至ったのだろう。行動、実行を重視し研鑽を積んでいった松下村塾塾生には他藩の志士が全く及ばない論理、実行力がついており、明治維新と明治政府をリードするのは必然だったのだろう。
「つまり、松下村塾の勉強は、教師が教えるのではなく、自分で自分自身を発見し、自分に立ち向かい、自分を自分で高めていく能力をみにつけさせるところにこそあったのである」
やはり、最近おぼろげに思っていること
研修医には、いくら一生懸命教えてもほとんど覚えていないので、勉強の仕方、つまり自己研鑽の仕方や成長した時の喜びを伝えることがいいのかな。という考えが吉田松陰に通ずるかもしれないと自信を深めた。
これからは本を読んだら抄録としてブログに書いていこう。